明治十四年八月、樺戸集治監(後に樺戸監獄と改称)が月形町に設置されてから、大正八年の廃監までの三十九年間に、病気、事故等のため更生の夢空しく死んでいった囚人の数は千四十六名におよぶ。【洋書】STORE FRONT THE DISAPPEARING FACE OF NEW YORK。そして、肉身に遺体を引きとられた者は僅か二十四名に過ぎず、残る千二十二名は永遠に無縁仏となって侘しく囚人墓地に眠っている。L4Eφ 名古屋の昭和 写真アルバム 2015年 初版 8ミリフィルムに残った名古屋の街並み DVD付。